農を楽しむ|有機農業をつなぐ②
「体にやさしい食を届けたい」「本当に良いものを作りたい」と、
大江ノ郷と思いを共にする生産者さんたちが集まる「とりのひとマルシェ」より
出品者様のご紹介記事を作成しています。
ぜひ私たちと一緒に生産者さんたちを応援していただけると幸いです。
鳥取県鳥取市気高町で、有機米作りをされる、気高オーガニック倶楽部・梅実一夫(うめざねかずお)さん。
気高オーガニック倶楽部の有機栽培こしひかりといえば、全国にたくさんのファンがいらっしゃり、大変な人気です。しかし、有機農業を始めるに至るまでには、梅実さんご自身や、一緒に農業をされるご家族の健康に不安を感じたりと、様々な苦悩がありました。
売り上げを上げることに没頭した、30歳代。
梅実さんのお父様は、稼業として葉タバコを作っておられました。
いつも忙しく、大変そうな親御さんのお姿を見て育った梅実さんは、「絶対に農業だけは、しない。」と思っていたそう。
大人になった梅実さんは、自分で電気屋を営み、日々修理やメンテナンスなどに追われつつ、公民館での勤務、お父様の手伝いと、忙しい日々を過ごしていました。そんなある日、出会ったのが「花づくりの世界」。
80歳代のおじいさんが意気揚々と花を作り、さらに収益を上げていると聞きました。
「なんて楽しそうなんだろう。」
自分も真似してみるかと始めたところ、どっぷりと花づくりにのめり込みました。30歳代の梅実さんは、全盛期には200種の菊をハウス7棟、路地で栽培。収益は上がりましたが多忙を極めました。
強い危機感、健康への不安
ハウスの中では、大量に農薬や殺菌剤を撒き続け、繁忙期には1か月近く30分も寝れない日々が続きます。
当時はすでにご結婚され、奥様もご一緒に花づくりをしていました。朝早くから夜遅くまで働く奥様の健康が心配になりました。さらに、当時の仲間が亡くなったことが重なり、
「この生活を続けていたら、健康でいられない。」
強い危機感を覚えました。
人のため、自分のため、家族の健康のため。何かできることはないか、と考えた時、はたと、「あぁ、米があるじゃないか」と気づきました。
「口にするもので、人が健康になり、喜んでいただける。自分も、その人の喜びをいただき邁進できる。自分の理想とする循環が米作りにはある。」
自分の天職となる直感がありました。
▲梅実さんの田んぼのある地域の名前は、飯里。「ご飯の里なんて、いい名前でしょ。」と梅実さん。
食を通じて、心より楽しんでもらおう
そこからは梅実さんに迷いはありませんでした。
5年がかりで、花を作っていたハウスを全棟撤廃しようと決め、動き出しました。
まずは、米を作るための田んぼの確保を※5町、確保できたら辞めようと考えていました。2年でその面積に到達したため、花づくりは完全にやめました。(※1町=1ヘクタール)
梅実さんと奥様との間には、
「食を楽しんでもらいたい。そのために、健康への懸念事項があると心より楽しむことはできない。」
そんな共通の思いがありました。
実は梅実さんの奥様は、お野菜を40数品目、農薬を使わずに作っておられます。
「私と女房は、食に対して、根底にある考え方が一緒なんですよ。女房は働きものです。もう、ひたすら。」
奥様のことも照れながら教えてくださいました。
▲梅実さんのおうちのすぐ側にある、奥様の畑。この日は、30度を超える暑さの中でも草取り作業をされていました。
有機農業を広めたい
息子さんが就農された今、梅実さんに今後挑戦されたいことを聞きました。
「有機農業を国として広めていきたいということであれば、これに協力していきたい。そのためには、農業の現場にどんどん人が来てほしいんです。ここにきて、本気で農業をやれば、1年で誰だってプロの農家になれますよ。50枚の田んぼで3回同じことを繰り返せば、150回反復することになるからね。」
と、にやり。
「有機農業を広められるお手伝いができれば、私も嬉しいんですよ。」
そう言われます。
農林水産省が、2050年までに有機農業が農地に占める比率を25%に高める目標を掲げました。現実はかなり厳しく、18年時点では0.5%にとどまっています。
「自分たちでできる量には限界があります。一人でやっていても、何も進展しない。人と関わることでどんどんと進化していけるし、発展していけると思います。」
未来を見据え、邁進される梅実さん。
有機農業をやるには、きれいごとだけでは語れない、様々なご苦労や課題があると思います。
しかし梅実さんは、
「しんどいけど楽しむことを忘れない。農業を楽しむ!」
今日もやりたいことにまっすぐです。
頼もしいそのお姿に、有機農業の道は続いていくのだと嬉しく思ったのでした。
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- 投稿者:
- kikaku